2019.06.07
イベントブログ
今朝は凄い雨でした。福山はもう晴れていますが皆様のお住まいのところは大丈夫ですか?福山市沖野上町 花屋グリーンポットふじたにのNです。まだ梅雨入りはしていない様ですがムシムシと湿度がかなり高いです。すぐに暑い夏がやってくるのでしょうか…母の日が終わり少しのんびりムードのお花屋さんですが、6月は父の日があります。とは言え母の日のような忙しさはありませんがお勧め商品は有りますよ!!切花なら母の日がカーネーション、父の日は、黄色いバラや、ヒマワリなどをおすすめしています。元々父の日は母の日の後付け的な感じですが、詳しくは・・・
母の日がアメリカ合衆国ではじまったのは、1908年のことでした。母の日ができたことを知ったワシントン州に住む『ジョン・ブルース・ドット夫人』は、翌1909年「母の日があって父の日が無いのはおかしい。父の日もつくって下さい。」と、『牧師協会』へ嘆願したのです。それには深い理由があったのでした…。
ドット夫人が小さい頃、お父さん(ウイリアム・ジャクソン・スマート氏)は北軍の軍人でした。軍隊での階級は”Sergeant”といいますから日本でいう「軍曹」でした。1861年4月12日南北戦争がおこってしまいました。アメリカの悲劇の時代が始まったのです。南北戦争が終わったのは1865年4月9日でした。「ドット夫人」のお母さんは、夫のウイリアム氏が北軍に召されている間、女手一つで働きながら一家を支えてきました。その為、お母さんはすっかり体をこわしてしまい、お父さんの復員後、間もなく死んでしまいました。
そこからお父さんの苦闘が始まったのです。残された子供達は、男の子5人と女の子が1人でした。6人の子供達を男手一つで育てるのですから、さぞ大変だったことでしょう。お父さんは再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。今日のような豊かなアメリカではなく、悲劇の時代と言われていた頃のアメリカでしたから、その苦労は大変だったでしょう。6人兄弟の末っ子の女の子が「父の日」を申請した「ドット夫人」なのです。「父の日」をつくって下さい。と末娘が嘆願してから7年後、1916年に『父の日』が認知されるようになりました。アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時でした。そして、1926年、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。
『父親を尊敬し、称え祝う日』それが『父の日』なのです。
日本では1982年第1回『父の日黄色いリボンキャンペーン』開催。 「黄色いリボンでお父さんに贈り物をしましょう」 「親のいない子に愛の手を」を柱として展開。 第1回『ベスト・ファーザー発表・授賞式』開催。(FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会HPより)
黄色いリボンから黄色いお花が父の日のイメージカラーになったみたいですね。
今日はNHK文化センターでのお花のレッスンは黄色のバラを使った父の日アレンジを作りました。
うちのお父さんにお花はどうかな~??って思われるかもしれませんが案外喜ばれると思います。他にはこんなものも。
ハーバリウムボールペン。こんなおしゃれなボールペン使ってお仕事してたらお父さん注目の的ですよ!!
そしてお疲れのお父さんにはお花の入浴剤。
ひまわりの花びらが入浴剤なります。ちなみにバラもあります。
日々頑張って働いているお父さん、又は働いてきたお父さんに感謝の気持ちが伝われば嬉しいですね。
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